金具屋大広間の歴史(2)

先日、戦争中に疎開で金具屋で暮らしていた方がお見えになりました。
前回のつづきです。

金具屋大広間の歴史(1)http://kawaraguya.exblog.jp/3626701

戦争に入ると商売はできなくなります。
渋温泉は、東京都足立区や豊島区のあたりの学童疎開の受け入れ先になりました。
当時の貴重な写真をお借りできましたので、お見せしたいと思います。
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東京都立高田第四国民学校の生徒さんで、これは善光寺で撮ったものだそうです。
前列の左から5番目がご本人だそうです。

当然、渋温泉、いや町全体の宿泊施設は疎開を受けいれ、1日3食、寝泊り、生活、すべての面倒をみることになっていました。お国のため、とはいえ、宿主が病気になろうが人がいなかろうが毎日毎日世話をしなければならず、それはそれは大変だったそうです。
そのため当時のことをあまりしゃべりたがる人は少ないんです。

今回お見えになった方は、昭和18年頃に疎開し、昭和20年まで約2年弱を金具屋で暮らしていたそうです。


大広間は寝床につかったり、別の旅館に泊まっている生徒たちの共同の教室としても使われていました。


ところが、昭和20年の2月。
大雪の為、大広間の本間部分が雪の重さで崩れてしまいます。

うちで知っていた情報はこれくらいのものでした。
実際に倒壊時にいたこの方のお話です。
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時間は深夜2時頃。
崩落は雪によるもの。
ぎりぎりまで屋根に積もってしまっていたところに、裏山の木々に積もった雪が落ちた衝撃で穴が開いたようでした。当時男子生徒が大広間を寝床につかっていましたが、虫の知らせか広間の1階部分にいたためけが人は奇跡的にいませんでした。女子生徒は2階と3階に寝泊りしていました、崩落のときはものすごい音が聞こえ、みんなで震え上がっていました。
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その後、金具屋にいた生徒はみな渋ホテルへうつり、その後すぐ、三才のジョウセン寺というお寺にうつったそうです。

そのお寺で玉音放送を聴き、新米の白米を食べ、帰省したということです。


その時の広間のことを知っている人間はもう金具屋にはいませんので、この実体験のお話はほんとうに感動しました。この時代のことも、覚えている人がいるうちに調べておかなければなりませんね。

大広間は、戦後、昭和25年に本間部分が直されました。
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しかし、格天井の中に入れる一枚板が戦後の材料不足で手に入らず、やむを得ず3枚の板を渡しました。これではみっともないということで、格子の中にもう一度格子を入れた、現在の折り上げ式二重格天井となったのです。

つぶれなかった舞台は、昭和11年建設当時のまま。
本間とのつくりの違いがわかります。

金具屋大広間は、戦争の証人のひとつということができるでしょう。
by kanaguya | 2005-10-22 20:01
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